『ハンサム・ガール 』 佐藤多香子

家族ってなんだろう。人は十人十色、家族も十色、と思う。だけど、「普通の家族」って言ったら?
それぞれの家庭のなかで育ちながら、子どもたちは、その家庭の価値観を少しずつ身につけていく。そして驚くほど「普通」という言葉に敏感だ。
男らしさ、女らしさ、子どもらしさ。
家庭の中、自分の中の「普通」じゃ無い部分を子どもなりに意識して、それをどうかしたいと思っても、結局自分ではどうすることもできない。子どもはそこに戻っていくしかないから・・・
さっぱりとおおらかに笑っていても、まわりから浮いてないかしら、変じゃないかしらってふっと気にしたりして。

  「ハンサムガール」は、この「普通」という言葉に向かって元気に爽やかに「そこどいて!」と声かけた。

パパは元プロ野球選手(ただし二軍)で、現在専業主夫。(えらい、パソコン。ちゃんと「しゅふ」を「主夫」って変換してくれた)
ママはバリバリのキャリアウーマン、只今単身赴任中。
主人公二葉にとってはこれは充分「普通」ではない。
そして、二葉は野球が大好きな女の子。(これも普通ではないのかなと意識している。)小さいときからパパとのキャッチボールで鍛えた腕は、ピッチャーとしてはかなりのもの。
その二葉が念願の少年野球チームに入って大活躍・・・のはずが何故か浮いてしまって・・・
二葉の前に立ちはだかる壁と職業人としてのママの前に立ちはだかる壁、ふたりの悩み、ふたりのがんばりがオーバーラップしてくる。
がんばればがんばるほど、まわりから浮いていく自分。
・・・まわりの意識を変えるのは、無理ながんばりではなく、一日一日の積み重ねしかないのだ。と気がつくのはいつのまにか一山越えたとき。
パパの存在感の大きさ。その優しさ。

「普通」の家族のイメージを解体して、あらためて、それぞれが助け合い自分らしく生きるため、力を合わせるチームとしての「家族」がいきいきとイメージされる。

ハンサムガールとは?
ママが二葉に告げる言葉は
「女にしても男にしても通用する魅力ある人間よ。最高にカッコいい人」

ラストシーンは爽やかです。まだまた問題山積みのこの家族は、しかし元気に立ち向かっていけそう。
そうよ、何もかもすっきり解決したハッピーエンドじゃない。
気負うわけではないけれど、自分のなかにある「ちゃんとした自分」(おかしな言い方だけど)を自信を持って生きていける。
そういう爽やかさ。
わたしもいっぱい元気をもらったし、きょうもがんばるぞ。