『ふくろ小路一番地』  イーヴ・ガーネット

ラッグルズさんのおかみさんは洗濯屋で、だんなさんは、ごみさらい屋でした。
二人は七人の子どもたち(おかみさんの自慢の娘と息子たち)と一緒にふくろ小路一番地に住んでいました。
この七人が次から次へと起こすおかしくてとんでもない事件事件。
「たくましく生きる下町の家族の日常をユーモラスに描いた名作。」とカバーの裏に書いてある。


おかみさんとだんなさんの会話が楽しい。

双子が生まれて、名前をつけようとした時のふたりの会話。
「決めたって? おや、そうですかい。へえ、わたしもきめたんだよ。ローランドとナイジェルってんだがね――わたしゃ、そうつけるよ。何、ジェイムズとジョン? なんだい、そりゃ!」
「ローランドとナイジェル? こら、おどろいた! おれの目の黒いうちは、そら、だめだ。ごみさらいのむすこがよ!」
「ごみさらいが何で悪いんだい。」・・・・・と、まだ続く。
( 娘がくすっと笑って「うちのおかあさんとおとうさんみたい」と言う。・・
な、なんですって!? そ、そんなはずは…ない、です。)
だけど、この二人、いいです。おかみさんの子どもを見る目の確かさには、弟子入りしたいくらいです。「あかんぼのことでは、若い男は信用できない」とかね、はい、メモします、と言いたくなってしまう。何より、七人子どもがいて、どの子も自慢のこどもたちで、その理由が“はしご段の段々みたいに、つぎからつぎへと、じょうぶに育っていく”から、というのが、素晴らしい。
にぎやかな大家族のおおらかな愛情と繋がりが、すてきなんです。
親が一生懸命働いて、その側で子供がちゃんといて見ている。
いちいち親の目が届かないから、子どもたちは自分で考えて、試して・・・で、失敗する! やっぱりーと思いながら、おかしくてクスクス笑っちゃう。でも逞しい子どもたちはそこでめげない、なんとか解決しようとする、いいなあ、と思う。

ケートが帽子を海に飛ばしてしまう、とれない。かあちゃんに被っていってはいけないと言われた新しい初めての自分だけの、おさがりでない帽子。奨学金をもらって、行けることになった新しい中学の制帽。
わたしは、子どものとき、初めてこの本を読んだのですが、この場面がとても印象に残っています。
ケートと一緒になってハラハラして、悲しんで、その後、冷ややかな第三者になり「あーあ、こうなると思ったんだよ、だから、言うことを聞けばよかったんだよ」と思ったりして、で、これからケートはどうしたらいいの、とはらはらした。(大丈夫です♪ラッグルズ家の子です、素敵に逞しい)

今、読み返してみれば、面白い場面がいっぱい。

母ちゃんの手伝いをしようとして、アイロンをかけて洗濯物をちじめてしまう女の子。 >「リリー・ローズは、その場に釘づけされ、おどろきあわてた口を、Oの字にあけて、その光景に見とれました。」

あかちゃん(弟)を見ているように言われた子は、弟の腰に、なわとびのなわを結わえて、一方の端を手に持ってすわりこむ。弟が口をあけて「うわあ」と言いそうになると、
>「ジョーは自分の指をなめて、ポケットのなかの(ポケットのかなかにはお砂糖のついたパンが入っている)お砂糖をまぶすと、すぽんとウィリアム(弟)の口のなかへつっこみました。」

チャーリーおじさんのごみあつめの馬車をひっぱる馬の名前は“バーナード・ショー”という。