『えんの松原 』 伊藤 遊

温明殿で神鏡をお守りする伴内侍に仕える音羽(人目をはばかる秘密を持っている)は、男子禁制のこの殿舎に忍び込んできたひとりの少年に出会う。この少年の身分、そしてその身が負っている重荷。

>「うまくやるやつがいて、そのあおりを食うものがいる。そのしくみが変わらない限り、この世から怨霊がいなくなるとは思えない。それなのに、怨霊がいなくなったとしたら…、それはいないのではなくて、だれにも見えなくなっただけじゃないか、という気がするんだ」
「怨霊がいなくなる日がくればいい」という憲平に答えて言う音羽の言葉。
目に見えぬ恐ろしいものはいないことにしよう、そんなものを見ずに済むように明るくしよう、考えずに済むように忙しく過ごそう…
この快適(?)で合理的な世の中で、怨霊は姿を変えてしまっているような気がする。怨霊を見ずに済むかわりに、人の心に潜む暗黒は深まっていはしないか。
見ないですますのではない、あえて、そこにそれを住まわせながら、それが住んでいることを知りながら、共に、しずしずと生きていくことも必要なのではないか。
宮中に、「えんの松原」の存在を守りながら(闇の部分を恐れても目をそらしたり蓋をすることなく)生きようとした、これもまた、雅やかな平安の人のひとつのありようかと、思いました。

最後に、
少年が少女に差し伸べた手と少女の笑顔、最高でした。軽やかな羽ばたきも。

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東宮憲平親王は17歳で即位して、冷泉天皇となる。在位2年。
その後、弟・為平親王安和の変にて、皇位につけず、その下の弟が、円融天皇となる。
平安京大内裏図によれば、「宴の松原」は、確かに存在している。