『村田エフェンディ滞土録 』 梨木香歩


先日読んだ「家守綺譚」と表裏を為す作品と言えるかと思いますが、わたしは、こちらが好きです。

トルコ革命前夜、第一次世界大戦前のトルコ、スタンブール…と書くと、よく物の分かった人のようですが、歴史苦手で、いや、トルコに革命がありましたか、ああ、こんな事情(実は全然わかっていない)でしたか、と思いながら、読んだものです。

それでも、国と国との抗いがたい運命の渦の中、東洋と西洋の交わるこの町で、生まれ育った国も環境もちがう、目的もさまざま、の、青春群像が、日本人留学生村田エフェンディ(学位の名だそうですが、たぶん“先生”というほどの意味の敬称でしょう)の目を通して綴られる。

古代遺跡もまた、生活の一部のような町で、印象に残っているのが、石に籠められた記憶。神としてあがめられていた偶像(?)が、拝まれた日の記憶を身のうちに籠めて、じっと、静かに思い出に耽っているようで、その言葉で語り出したようで、読んでいるこちらの気持ちもしんと静まるのです。
洋の東西のふるい動物の姿の神々が、追いかけあったり、いがみあったり、おかしくて、なんだか可愛いのです。が、のちに、火の竜を真ん中にして、横になりくつろいでいる場面、あたたかく、美しかった。 この火の竜、今はどこにいるのでしょう。村田は、日本に連れて帰ったはずなのですが。

最後の章は、切なくて切なくて。
あのディクソン夫人の下宿の、おかしくて、きなくさくて、あたたかくて、不安で、みんな若くて、夢を語っていた・・・
だから、切ない。

「思いの集積が物に宿るとすれば、私達の友情もまた、何かに籠り、国境を知らない大地のどこかに、密やかに眠っているのだろうか。そしていつか、目覚めた後の世で、その思い出を語り始めるのであろうか。」

鸚鵡の存在が、おかしくて、やがて悲しくて…たまらないのです。 「友よ!」