小さな町

小さな町 (大人の本棚)小さな町 (大人の本棚)
小山清
みすず書房


エッセイ? 私小説になるでしょうか。
戦前から戦中にかけての5年間をY新聞の新聞配達として働き、戦後はしばらく夕張炭鉱で炭鉱夫として働いた。
そのころの、おもに出会った人、交流について語った10篇。
どれも、当時の町の様子、人々の生活。そこにいる自分自身のこともまた風景の一部のようで、淡い水彩の風景画のようでした。
なぜそうなのか、とか、だからどうした、というのを抜きにして、しみじみといいのです。ただそこにいる、ある、ということが。
そして、旧かな遣い、旧漢字のままで出された本がうれしいです。
この文章にはこの文体がよく似合いました。
現在の自分から地続きのようで、実は遠く離れた別世界の物語のようです。


なんのことない下町のおかみさんやおじさんの声。
子どもたちとの戯言や、作者のなんとも腹だたしいほどに不器用すぎる女性との交際など・・・
どの人も、今は消息もわからない・・・
だけど、このときはほんとに温かいおつきあいがあった。


ことに表題作「小さな町」と「をじさんの話」が好き。
新聞配達とお客さんって、こんな交流があったのですね。
私が生まれるずっと前。
子どもにからかわれたりからかったり、世話好きな人にお嫁さんを世話されたり・・・
遊んでいる子どもたちの声が聞こえてきそうでした。ぼんやりと明るくて。


「をじさんの話」のをじさんは、新聞配達していたときのかなり年上の同僚(?)です。
お人よしで、働き者で、でも、賭け事に弱くて、ときどきしょっ引かれて何日も留め置かれたりしている。
そのつどしょんぼりして反省しながら、やっぱりずるずると流されてしまう。その弱さがまたよい・・・
このをじさんをはじめ、彼の同僚たちは、ほとんどが根無し草。
捨ててきた過去があったり、定住せず新聞店から新聞店に渡り歩く人たち・・・
世間から、はみ出した人たちばかり、どこか幸薄い雰囲気もあるのです。
こういう孤独な旅人のような人たちと、地道に暮らしている貧しい町の人々の生活とが、混ざり合って、
つかのまの交流―密ではないけれど、ほのかに温かい、独特の雰囲気が生まれているように思います。
寂しい一人ぼっちの気持ちが、このつかの間の交流を引き寄せ、かけがえなく感じているようでした。


決して幸福な人生を送ったわけではない作者です。そのめぐり合わせの不運を嘆くでなく、さらりと書いてみせたりもします。
作者自身が孤独だったのだろう。寂しい人生だったのだろう。
その日の食にも困るようなルンペン易者に気まぐれから占ってもらえば、思いがけない良い言葉をもらい、感動している。
占いを信じたのではなくて、相手の心づくしに感動している。
「やはり侘しいものが、侘しいものへ贈る声援であったのだらう」と作者は書きます。(「よきサマリア人」より)
今までもこのあとも苦しいことばかりの作者だから、
きっと他人には気がつかないだろう小さな温かさを感じ取ることができるのだろう、と思いました。