ケストナー―ナチスに抵抗し続けた作家

ケストナー―ナチスに抵抗し続けた作家ケストナー―ナチスに抵抗し続けた作家
クラウス・コルドン
那須田淳/木本栄 訳
偕成社
★★★★


1933年5月10日。ドイツ全土で起こった焚書事件。
ベルリンのオペラ座の前で、「退廃とモラルの低下に反対!」などの叫び声の中、
ナチス的思想の作家、哲学者、評論家の本が次々に燃え盛る炎の中に投げ入れられた。
自分の本が炎に包まれるのを群集にまじって蒼白な顔でじっと見ていたケストナーの姿が、読後いつまでも印象に残っています。


「ベルリン」三部作の作者であるコルドンによって書かれたケストナーの伝記です。
様々な面をもつひとりの人間をどのように描くか、どの部分に大きくスポットライトを当てるか、
伝記作家によって異なっているのではないでしょうか。
ザコンケストナー、失恋のたびに母親イーダに泣きついていたこと。
本当の父は靴屋のエーミルではなくてユダヤ人医師だった、という秘密。
生涯ひとりの女性と添い遂げながら晩年別の女性との間に息子をもうけたケストナー
彼の弱みもそのまま描きながら、でも、コルドンは何よりもナチス政権化のケストナーの苦悩を描くために多くの紙面を使いました。
それは、ちょうどケストナーの30〜40歳代のころ。本来一番活躍できる年齢だから、ともいえますが、
たぶん、ケストナーという文豪を中心にして、ドイツの恥辱にまみれたあの時代を書きたかったのだと思います。
あの過ちを忘れないため。そして、それを最後まで見届けたひとりの作家の勇気を覚えておくため。


コルドンは、ケストナーの残した膨大な文章を引きながら、ケストナーその人の内面までしっかりと描きだしてくれました。
まるで本人がそこにいて、自分の言葉で自分の人生を語っているように。
同時に、暗いナチス政権下のドイツを、第二次大戦後の東西に分断されたドイツを、
そして、その国に住む人々の姿を大きくうつしだしてくれました。
これは少し前に読んだコルドンの「ベルリン」三部作のサイドストーリーのように感じました。


実際、私の知っているケストナーは、児童文学作家としてのケストナーであり、大人向けの戯曲やユーモア小説も書いた人、
ということくらいでした。
そのケストナーがなぜ、ナチスに睨まれたのか、本当はまるっきり知らなかったのです。
時事評論家のケストナーナチスに批判的な詩や文章を書いたケストナーのことを初めて知ったのでした。


ナチスに批判的な芸術家たちはつぎつぎに国外に亡命するなか、ケストナーはドイツにとどまりました。
「どんなときでも目撃者として残り、いつか文章でその証言をすることができるようにすることこそ、作家としての職業上の義務だと思」ったからです。
ゲシュタポに二度も逮捕され、命の危険にさらされながら、ベルリンにとどまったのはそういうわけでした。
彼は彼の詩の中で「たとえどんなに深くココアの中に沈んでも、それを飲んではならぬ」と書きました。
ココアはナチスの茶褐色の制服を意味しているそうです。
「ぼくは、ずっと受身だった。このときも、僕たちの本が焼かれたあの日でさえも」


コルドンは言います。
「受け身のままでいるといっても、群集の流れに従わないということは、ひとりの人間にとって、どれほど勇気のいることだろうか。」



作家が書くことを禁じられたらどんなに辛いことだろう。腕をもがれたようなものだろうか。
実際に使える手があるのに、手を使わないで顔を洗い物を食べ服を着て生活せよ、と言われているようなものだろうか。
心があるのにその心に何も感じるな、と言われるようなものだろうか。
そして、常に見張られ、隙さえあれば命も危ない。
国内からはゲシュタポの恐怖、国外からは空襲の恐怖の中で、やむにやまれぬペンをとることの欲求を押さえつけて暮らす日々・・・
次々にケストナーと志を同じくするものたちが捕らえられ命を奪われ続ける中、
国外からは「早く逃げろ」と呼びかけられてもベルリンを離れなかった。
この意志の強さ、信念の堅さに言葉もありません。
「受け身」というけれど、この状態で、まさにココアの中に沈みながらココアを飲まずにいることが、普通の人間にできるでしょうか。
ケストナーは後に書いています。

わたしは英雄であろう、英雄になろうとは思わなかった。なりもしなかった。にせの英雄にも、ほんとの英雄にもならなかった。みなさんはその区別を知っていますか。にせの英雄は、空想を持たないから、こわがらないのだ。ばかで、神経を持たないのだ。ほんとの英雄は、不安を抱き、それを克服する。わたしは生涯の間、いくども不安を抱き、なぜかわからないが、かならずしもそれを克服しはしなかった。克服していたら、わたしは今日おそらくほんとの英雄になっていたろう。きっと死んだ英雄になっていたろう。
そして、彼がこんな状態のベルリンで無事に生き延びたのは、彼の友人たちの助けも大きかったのでした。
ことに映画製作者のシュミットは、反ナチス的思想を隠して、ナチスに入党しました。
そして、それを隠れ蓑にして、反ナチスの友人たちを助けたのでした。
シュミットの助けにより、ケストナーは偽名を使って舞台の脚本を書きます。
それが、「ほらふきミュンヒハウゼン男爵」の物語。
(しかも大胆にも、それとわからないようにナチス批判をその台詞に混ぜ込んだのでした。)
また、戦争末期、シュミットは戦意高揚のための映画を製作する、といい、そのロケを行う、という名目のもと、
通行証を手に入れ、つぎつぎに映画関係者やその家族を安全な地に逃がしたのでした。命がけの綱渡りでした。
卑怯だったり臆病だったりの人たちにまざって、尊い精神の持ち主、勇気ある行動もたくさんあったのでした。


そして、コルドンはケストナーを描きながら、「ベルリン」三部作に書ききれなかったあの時代の細部を描き、
さらにその後の時代のドイツの悲劇をも描きました。
不幸な時代に蓋をしてはいけないこと、それを二度とよびおこさないためにも、
目を見開いて、自分たちがやったことをちゃんと振り返ってみるべきなのだと。
そして、ケストナー&コルドンは、ヒトラー台頭を許した罪をドイツ国民だけに着せたがる戦勝国に対しても厳しい目を向けます。
戦前ヒトラーと同盟をむすんだのはどこのだれだ。
ナチのプロパガンダと知りながらベルリンオリンピックに選手を派遣したのはどこのだれだ。
人を批判するのは簡単なことです。そして、その批判はたぶん正しいのです。
でも、そうだとしても、自分の犯した罪を忘れていいものでしょうか。
人を裁くなら、自分もまた裁かれるのが本当ではないでしょうか。
第二次大戦下にドイツで起きたことは、一つの国、ひとつの民族の罪、というにはあまりに大きすぎます。
それよりも人類が起こした罪の大きさ、起こすかもしれない罪の大きさと捉えて、
世界中のひとりひとりが意識しなければいけないのではないか、とも思います。
こんな過ちがどこかで二度と起こらないように。
見てみぬふりをしないですむように。