ナバホの大地へ

ナバホの大地へ (理論社ライブラリー―異文化に出会う本)ナバホの大地へ
ぬくみちほ
理論社
★★★★


著者は、ニューヨーク州立大学在学中、フィールドワークとして、ナバホ・リザベーションを選び、
三週間滞在するあいだにナバホの女性アイリーンさんと知り合います。
それがきっかけとなって、その後何度もこの地を訪れ長きに渡って滞在しながら、ナバホの暮らし、文化に深く傾倒していきます。
この本は、河合隼雄「ナバホへの旅」でも紹介され、たくさんの引用にも出会っています。
それで河合さんの本と重なる部分も多くありました。(「ナバホへの旅 たましいの風景」感想
ナバホについて書かれた本ですが、著者に惹かれました。その行動力や、啓かれた心に。
アイリーンさんが著者を生活の奥深くまで彼女をいれ、メディスンマンの儀式にまで立ち合わせるほどに・・・
ほとんど家族・娘のように彼女を迎え入れたのは、著者の性格によるものだろう、と思いました。


著者がアメリカに留学しよう、と決心したのは高校3年生のときだそうです。おとうさんは反対します。
「お前はまだ日本人としても一人前じゃない。日本人としてのアイデンティティーが築けていない。日本の歴史、文化、日本人として勉強することがあるだろう。・・・このままアメリカへ行ってしまったら、いったい自分がなに人なのかわからなくなるぞ」
素晴らしいアドバイスだと思いました。
若い人はとかく性急です。自分も若いときがあったからそう思います。
とくに夢を追いかけていれば、今すぐ全速力で疾駆しなければ間に合わなくなるような思いで足踏みしたくなるのでしょう。
遠回りに見える道が結局一番の近道であった、ということもあるはずなのです。
道草することで思わぬものをみつけることもあるはずなのです。
ぬくみさんのおとうさんは、何よりもかわいい娘を手放すのが辛かったのかもしれないのですが、
おとうさんの気持ちがわたしにはとてもよくわかります。
わたしもまた、昔は親を振り切って飛び立った経験があるし、現在は、今にも飛び立ちそうな子を持つ親だからです。


ぬくみさんが、はじめてナバホ・リザベーションを訪れ、三ヶ月間滞在したとき(たぶん20歳をいくらかすぎた程度の学生)、
ニューヨークから5日間かけて車で旅をしているのです。
著者はさらっと書いていて、さもなんでもなさそうなのですが、日本人留学生が、車でアメリカ横断なんて・・・
その行動力に恐れ入ってしまいます。
まるでシャロン・クリーチの「めぐりめぐる月」さながら。
こうして、ナバホ・リザベーションに到着して、
ボランティアをするための保育所に向かう舗装されていない悪道をゆっくりゆっくり進みながら、彼女は考えます。

>・・・ニューヨークからここまで、四車線の高速道路を制限速度いっぱいに飛ばしてきた。私は何を急いでいたのだろう。ゆっくりと通りすぎる景色のなか、アメリカへ来る前も来てからも、何をするにも自分は飛ばしすぎていたのではないかと思いはじめた。ナバホに来てから見かける人たち、道を教えてくれたおじさん、オフィスの女性たち、みんなおっとりしている。人だけではない。地平線までつづく空も、大地も、ゆったりしている。もっともっと大地のリズムに合わせて生活してみよう。体内時計の針をゆっくりと進めてみよう。・・・
こうして出会ったナバホでの暮らしは時間をかけて、手間をかけて暮らすくらしでした。
「人が大地から植物をもらうとき、その植物をもらっていい季節があるのよ。その季節は、それぞれの植物によって違うの。もらっていいときに、一年間に必要な分だけもらって、それを乾燥させてとっておくの」
とアイリーンさん。


ぬくみさんの言葉で、心に残るのは、

>その後、私はネイティブ・アメリカンとの交流をはじめたのだが、呼称について彼らがとても敏感になっていることに気がついた。“インディアン”と呼ばれることも、“ネイティブ・アメリカン”と呼ばれることも好まない人たちと数多く出会った。彼らは、部族ごとに言葉も、文化も、歴史も違うのに、どうして十把ひとからげにそう呼ばれなくてはならないのか、自分たちにはそれぞれの部族の名前があるのだ、という。“ネイティブ(先住の)”という言葉も、あとからアメリカ大陸に移り住んだ人たちからみた表現である。
河合隼雄「ナバホへの旅」の巻末の河合さんとぬくみさんの対談のなかでのぬくみさんの話、
ナバホの小学校の先生が子どもたちに「ナバホとは何か」と問いかけ
「きみたちはインディアンにもアメリカ人にもなるな」と語ったというくだりが思い出されます。ナバホであることの誇り。


異文化を紹介する本を読みながら、自分自身の文化を振り返ります。
わたしはどれほどに自国のことをわかっているのだろう。
日本人である、と誇りを持って言えているのだろうか、と。
そして、ぬくみさんが留学前におとうさんに諭されたことばに戻っていきます。
「お前はまだ日本人としても一人前じゃない。日本人としてのアイデンティティーが築けていない。日本の歴史、文化、日本人として勉強することがあるだろう。」と。