地図のない道

地図のない道地図のない道
須賀敦子
新潮社
★★★


押し付けがましくない。
まるで空気のように軽く、ふんわりと身を包んでくれる。
どんな気分の自分をも受け入れてくれる。
それも、ちゃんとご自分を主張しているのに、他者をそのまま受け入れようとする懐の深さ・・・
べったりと甘やかすのではなく、変わらぬ自身でありながら、他人の立場も認める・・・
それだけたくさんの世界を見てきた人。それだけたくさんの悲しみ、苦しみを通り抜けて来た人。
須賀さんの文章の静けさにゆったりと身を任せたくなりました。
何かを得るためということもなく、意味をわかりたいと思うこともなく、ただ、本を読むことで、その文章を目で追いながら、ただ浸っていたい、そんな読書をしたいときもあります。

この本では、まず、ローマとヴェネツィアのゲットの歴史から始まりました。
ゲットにユダヤ料理を食べに行く。
ユダヤ人だけが住んだその土地の、深い傷あと・・・語られず聞きもせず、だからこそよけいに古傷は、実は古くなく、未だに痛く、血を流しているのだろう、と想像します。
一見とりとめもなく続くのは、ユダヤ人の友人や、干潮時のヴェネツィアの話、夫ペッピーノさんの在りし日とその後の話、日本の祖母の思い出、日本の風景とイタリアの風景の中に見え隠れする庶民の文化の物語・・・

気になったのは、「ザッテレの河岸で」の、煉瓦塀に書かれていた細い水路の名「Rio degli incurabili」 リオ デリ インクラベリ・・・これは、治癒の当てのない、もう手の尽くしよいうのない病人を意味する言葉なのだそう。ここに、そういう名の病院があった・・・
この言葉の重さが表す意味を求めて、立ち止まらないではいられなかった須賀さんの、この言葉に馳せる思いに興味をそそられました。ここにも名もなき人々の苦しみと悲しみの歴史が残っている・・・

須賀さんの本はいつも静かだけれど、今度の本はひときわ静かで口数が少ない。本なのに、口数が少ない、というのはおかしな言い方だけれど、読めば読むほど、静かにひたひたと寄せてくるものを感じていました。
そして、わたしもまた、静かに、少し寂しく、須賀さんのあとについて、リド島の迷路のような道をさまよい、ゲットをまわり、橋の上で夕日を眺めます。
一度も行ったことのない土地も、一度もあったことのない人たちも、なんだか懐かしい、と思いながら。