『戦場のオレンジ』 エリザベス・レアード

 

戦場のオレンジ

戦場のオレンジ

 

 

「地中海のあったかーい波が、お日さまいっぱいの浜辺に打ちよせてね……」と、アイーシャのおばあちゃんは話す。ベイルートは、昔は美しい町だったそうだ。
けれども、アイーシャは、内乱のベイルートしか知らない。
グリーンラインと呼ばれる境界線を挟んで、キリスト教徒とイスラム教徒が、東西に分かれていがみ合い、戦いあう。
繰り返される銃撃で、何もかも壊され、何もかも失ってしまった人びとが肩寄せ合って生き延びるために息を殺して暮らしている。


アイーシャのお母さんも内戦の犠牲になり、死んでしまった。
家も失い、廃墟になった大きな家に、大勢の人々といっしょに居どころを得ていた。
アイーシャと二人の弟の面倒をみてくれていたおばあちゃんは病気だった。とうとう起きられなくなってしまったおばあちゃんの薬をもらうために、主治医のライラ先生を訪ねて、アイーシャは、境界線を越えていこうとしている。


「なにもかも失くしてしまったけれど、心あたたまる思い出がないわけではない」とアイーシャは言う。
確かに、人々の温かい思いが暗がりの中で光のように輝いている。いくつも。
そういう場面に出会うたびに温められた。でも、それらは、この恐ろしい戦乱のなかで輝くべきものではないはずなのだ。
平和な時代であれば、もっともっと大きく輝けた光たちだろう。


一見恐ろしげな、銃をもった兵士は、アイーシャの弟をあやしてくれた。
石段に座りこんで絶望のあまり泣き出したアイーシャに、オレンジを差しだした少年は、道路の向こうでニコニコしながらこちらを眺めている果物売りのおじさんの息子だ。
その一方で、他の人のことを「あいつも敵さ。にくいやつ」と言いきってしまうことができるのだ。だれもが、この内戦で大切なものを失っている。
相手に対して細やかで温かい思いを寄せることができるのに、相手が自分とは違う集団に属していることがわかった途端に、自分からも相手からも、細やかな表情が消えてしまう。ただ、集団のレッテルにしか見えなくなってしまう。


物語は明るい方向に開けているが、その後も、世界じゅうで、内紛、戦争、憎しみ合いは、次々に生まれ、続いている。
たくさんのアイーシャが、その弟や友だちが、彼らを巡る大人たちが、いる。
ライラ先生の「大人になっても、人をにくんじゃだめよ」という言葉が、祈りのように、子どもたちを包む。