『ぼくの兄の場合』 ウーヴェ・ティム 松永美穂(訳)

 

ぼくの兄の場合 (エクス・リブリス)

ぼくの兄の場合 (エクス・リブリス)

 

 

作者の兄は、第二次世界対戦の時、ナチスのエリート部隊「武装親衛隊 髑髏師団」に志願し、入隊した。18歳だった。そして、戦闘中に重症を負い、19歳で亡くなった。
作者の手もとには、兄がウクライナの戦線に投入されたときにつけていた日記や野戦郵便が、遺品として残されている。
兄は、両親にとって、幼い頃から優しくて勇敢な子どもだった。
母に書き送る手紙には、兄から弟(16歳下の作者)への愛情が溢れる。思わず笑みがこぼれる。
「またすぐ手紙を書いてください」との言葉に、母への思慕が透けて見える。


その兄が、戦場で兵士として命令に従って、戦っていた。
「ここで日記を終える。ときどき起こる残酷な事柄について記録するのは意味がないと思うから」という兄の、まるで外野席からの言葉みたいな「残酷な事柄」。
ウクライナで、その時、この師団がどんな戦闘をしていたのか、民間人に対して何をしたのか。
当時の記録や沢山の証言があるのだ……
そして、兄は命令を拒否しなかっただろう、ということも作者は確信している。そのうえでの「ときどき起こる残酷な事柄」で、「記録するのは意味がないと思うから」であったこと。
「そこから見えてくるのは――そしてこれが恐ろしいことなのだが――部分的な盲目であり、「普通のこと」しか見ようとしない姿勢である。」と作者は書く。
下等人間。害虫。習い覚えた言葉が殺戮を容易にしていく。
それは「戦争という日常における『普通の』まなざし」だった。


父は、第一次大戦でも第二次大戦でも、志願して従軍してきた兵士だ。
父にとって戦争は「冒険」だった。「旅行会社としての国防軍。将来の豊かな社会におけるツーリズムの先取り」
父は自分の夢のあとつぎがほしかったのか。
父は、兄を「勇敢な子」という誇らかな言葉で縛った。(先に生まれた姉娘を、女であるという理由で無視してまで。)そして兄は、父の期待を背負ってそこしかないという方向へ素直に追い込まれていく。


戦争が終わって、勇敢な兄は帰ってこなかった。
父は、ひっくり返ってしまった価値観に苦しんだ。ナチスによって為された悪いことは「知らなかった」。
母は、沈黙を通した。
両親は、戦後「息子を亡くし、家を失った」事で、「戦争に対する自分の罪滅ぼしは終わった」と考えた。自分たちを「戦争の犠牲者」の側にすべりこませたのだという。
なんて厳しい言葉だろう。亡くなっているとはいえ、自分の両親についてここまで書くのか。


「兄について書くことは、父について書くことでもある。ぼくと父が似ている点は、ぼくと兄が似ている点からも確認できる」と作者は言う。
この作品は、兄や両親への断罪ではない。
この家族を見つめなおすことは、よく似た多くの「普通の人」の姿をくっきりと浮かび上がらせることであり、
(父や兄によく似た)作家の自身への厳しい問いかけであり、この本を読者として読んでいる私自身への問いかけである。
もしも、そこにいたのが私だったら、どうしただろう。
すべきことを、できるだろうか。
「そうすべきだとしても、自分にはできない」と答える事や、目をそらし沈黙してやり過ごすこと――その後ろにある、戦争だったんだから仕方がなかった、とか、何が起こっていたのか知らなかった、という言い訳に、狎れ合うことが許されるだろうか。